interview

 

「沈黙の文化」として洗練された日本文化


かわらミュージアム(撮影:村井修)

現代の建築というのは、じつに饒舌です。色、形、素材、すべてが華美でやかましい。かつてドイツのマックス・ピカートは『沈黙の世界』という著作のなかで「人間の本質は言葉である。神の本質は沈黙である」と言いました。振り返ってみれば、元来の日本文化も沈黙の文化、負の感性に支えられた文化でした。たとえば、芭蕉が詠んだ俳句に「閑けさや岩に染み入る蝉の声」というものがあります。蝉の賑やかな鳴き声の向こうに岩の静けさを見つめる感性は、やはり沈黙の文化から生まれたものでしょう。世阿弥が能楽の秘伝書『花鏡』で語った真髄「セヌトコロガオモシロキ」も、沈黙に通じる美学です。俳句や能に限らず、和歌、生花、茶、水墨画…すべてが沈黙の文化、負の感性に育てられたものばかりです。では、建築を考える際に、沈黙の素材とはなんでしょう。我国では昔から「石のように押し黙る」といいます。沈黙の代表は石だと思います。ヨーロッパの神殿は石造りが多いのですが、これは沈黙の素材としての石に、人々が神の存在を感じ取る、心を動かされることが理由です。人造の素材としてはコンクリート打放しがそうでしょう。私も、コンクリートを使って、庭に釈迦涅槃を表した"三尊石組"を造りました。瓦にも、こうした石と同様に沈黙の素材としての魅力があります。もともと土を焼き固めたものですから、石に近い素材であり、人々の心を動かす素材だといえるでしょう。

「夏椿(しゃら)の家」の中庭。コンクリートで造られた”
三尊石組”は、釈迦涅槃像の側に、脇侍である普賢菩薩と
文殊菩薩が控えている様を表現。(撮影:新建築写真部)
震災後、無傷だった隣家を見て依頼が来たという
兵庫県西宮市「擁の家」。
建築や塀と一体化した高い擁壁で敷地強度を確保。
所々から草花を垂らすことで景観に潤いを生みだしている。
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